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EARTHマガジン(アースマガジン)|特集「今はなきサーフポイント 赤提」

日本のサーフィン発症のサーフ・ポイントのひとつであった鴨川・赤堤

 千葉県の南東部、荒波が押し寄せる太平洋に面した人口2万人ほどの観光と漁業の町、鴨川。ここが日本のサーフィン史のなかで重要な役割を果たしたのは、赤堤と呼ばれる優良なサーフ・ポイントがあったからだ。

 戦後まもなく、鴨川の山の上にアメリカ軍のレーダー・サイトが設置される。60年代のはじめ、本国アメリカでサーフィン・ブームが起こると、この峯岡レーダー基地に勤める兵隊たちや横須賀基地の米兵たちは鴨川の海でサーフィンをはじめる。波質の良い鴨川は、彼らを通じてサーフィンを楽しむ在日米軍の兵隊たちやアメリカ西海岸のサーファーの間に伝えられ、日本の「KAMOGAWA」の地名が知られることとなる。

 1964年には、ブルース・ブラウンが、サーフィン映画の傑作「エンドレス・サマー」の撮影のためにここ鴨川を訪れる。こうして、鴨川では早い時期から波の良い日には、外人たちが板の上に立って波に乗る姿があり、サーフィンは、地元では当たり前のように目にする光景でもあった。

 千葉で初めてのサーフクラブ、鴨川ドルフィンズの創立メンバーの一人、鈴木潤一は、当時を次のように語る。「子どもの頃から夏になるとエアマットや洗たく板、ボディサーフィンなどで遊んでいたのよ。時々、波があるとレーダー基地の兵隊さんたちがサーフィンをしていて、最初は彼らから板を借りて乗っていた」。

 この鴨川のメイン・スポットが赤堤と呼ばれるサーフ・ポイント。赤堤は、鴨川漁港の東側、加茂川右岸導流堤(堤防)の先端にある赤く塗られた小さな灯台が設置されていたことから、その名が付けられた。南のうねりが漁港の沖にある弁天島を回り込み、うねりのサイズによってブレイク・ポイントが異なった。地元のサーファーの間では沖から、「一ノ瀬」、「赤堤」、「中堤」と呼ばれていた。最も岸寄りの中堤はグーフィー、レギュラーに割れ、赤堤で割れる波はダブル・サイズのブレイクとなった。

 この赤堤ポイントは、加茂川左岸導流堤、通称中堤の東側に新たに漁港とヨットハーバー(鴨川フィッシュリーナ)の建設が計画され、完成とともに消滅することとなった。それでも工事が終了する90年代前半まではサーフィンすることが可能だった。

 日本のサーフィン揺籃期には鴨川の三羽ガラスと呼ばれた川井幹雄、川名孝夫、野村昭らを、そして70年代に入ると、鴨川少年団と呼ばれその才能を高く評価された抱井保徳、増田昌章、小川昌男など卓越したサーファーたちを輩出した鴨川・赤堤は、時代に飲み込まれその役割を終えることとなった。

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